鹿島緒名太神社(亘理町)概要: 鹿島緒名太神社は宮城県亘理郡亘理町逢隈小山字西山に鎮座している神社で、案内板などなく詳細はよく分かりませんでしたが、景行天皇41年(111)に勧請されたのが始まりとされます。
鹿島神社は鹿島三社と呼ばれ鹿島緒名太神社の他に鹿嶋天足和氣神社、鹿嶋伊都乃比氣神社がありましたが、元々の神社の鎮座場所や祭祀方法など記録が乏しく多くの説があるようです。
その説は元々は山頂に三社が同一社として祭られていた説や吉田郷(伊都乃比氣神社)、小山郷(緒名太神社)、鹿嶋郷(天足和氣神社)と別々に祭られていた説、伊都乃比氣神社の境内に緒名太神社が祭られていた説などがあります(現在は鹿嶋伊都乃比氣神社の所在が不明となり鹿島神社は2社となっているようです)。
鹿島緒名太神社に伝わる伝承によると天慶4年(941)に当初地の三門山から北鹿島の樫山に遷座し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には亘理郡に鎮座した式内社の4社の内の1社として記載されています。
戦国時代の天正年間(1573〜1593年)の兵火で焼失し衰微しましたがその後再興され貞享3年(1686)に現在地に遷座しています。古くから神仏習合し「鹿嶋大明神」などと呼ばれてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令によって仏式が廃され、明治5年(1872)に村社に列し、明治44年(1911)に神饌幣帛料供進指定神社に指定されています。
鹿島緒名太神社の拝殿は、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は一間社流造、檜皮葺き、外壁は真壁造り板張り。鹿島緒名太神社の境内は古社らしく苔むした石段があり雰囲気を感じます。祭神:武甕槌神。
鹿島緒名太神社:上空画像
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