円龍寺(柴田町)概要: 福壽山円龍寺は宮城県柴田郡柴田町入間田寺に境内を構える曹洞宗の寺院です。円龍寺の創建は安土桃山時代の文禄3年(1594)に開山したのが始まりとされ、文禄2年(1593)に屋代景頼が船岡城の城主になっている事から屋代氏と関係が深い寺院だったと思われます。
元和元年(1615)、船岡城(要害)の城主として当地に原田宗資が赴任すると近隣の土豪が反乱を起こし、その鎮圧で多くの血が流れました。すると、宗資は原田家の菩提寺である東陽寺第9世永達和尚を招いて改めて開山し、その供養を行ったとされます。
延宝9年(1681)、寛文事件(伊達騒動)により当主である原田甲斐が惨殺され、甲斐家が改易になると東陽寺は現在の登米市東和町に境内を遷し、円龍寺がその寺籍を継いでいます。明治36年(1903)に火災があり多くの堂宇や仏像、仏像経典など焼失し、明治41年(1908)に目蓮寺屋敷から移された薬師堂を仮堂としました。昭和25年(1950)になってようやく本堂を再建し随時、山門や鐘楼などの伽藍を配置しています。
寺宝が多く木造薬師如来立像は、応永22年(1415)作、桂材、一木造、像高79.4p、総高さ98p。木造十二神将立像は応永22年(1415)作、桂材、一木造、平均37.9p、両像とも近隣にあった目蓮寺薬師堂から明治41年(1908)に遷されたもので(木造薬師如来立像は目蓮寺薬師堂の本尊)、室町時代に制作された古仏像として貴重な事から昭和31年(1956)3月9日に宮城県指定有形文化財(彫刻)に指定されています。
柴田三十三観音霊場第5番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:御仏の ひろき恵みの ふところに わが身も人も 入間田の里)。山号:福壽山。宗派:曹洞宗。本尊:薬師如来。
円龍寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
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