柴田町: 大光寺

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概要・歴史・観光・見所
大光寺(柴田町)概要: 妙高山大光寺は宮城県柴田郡柴田町船岡南に境内を構える曹洞宗の寺院です。案内板によると「大光寺は、湖海仲珊和尚が15世紀中頃開山、一時廃絶した。これを雲州全利和尚が再興したが、その年代は不明。文政6年(1823)火災により伽藍が焼失した。柴田家の菩提寺で、寛文事件の柴田外記も祀られている。本堂裏にある五百羅漢像は、明和年間(1764〜1772)この地方に疾病が流行し、住民は大変苦しんでいた。これを救おうと、第十四世環中道一和尚が、経文を唱えながら像を刻み、疾病平癒を祈願したところ、その功徳が現われ治まったと伝えられているものである。・・・(後略) 柴田町教育委員会 」とあります。

柴田家は藤原秀郷の後裔の一族とされる小山氏を出自とする豪族で、柴田郡を支配した事から地名に因み「柴田」姓を名乗りました。その後、柴田氏は伊達家に従い、文禄2年(1593)にこの地を離れましたが、天和元年(1681)に柴田宗意が5千石で船岡城(要害)の城主として復帰し、以降、明治維新まで柴田氏が城主を歴任しています。大光寺は15世紀中頃に道元禅師10世法孫で耕雲寺(新潟県村上市)4世、金龍山瑞雲寺(宮城県伊具郡丸森町金山鬼形)を開山した湖海仲珊和尚により瑞雲寺の末寺として開かれたのが始まりとされます。その後、衰微しましたが天文16年(1547)に瑞雲寺の雲集全利和尚により再興されています。

大光寺は歴代柴田家の菩提寺として庇護され、寺領1貫5百文が安堵され家中家老格の格式を得て境内には歴代柴田家の墓碑が建立されてます。江戸時代後期の文政6年(1823)の火災により多くの堂宇が焼失し、寺宝、記録が失われましたが、その後再建されています。上記に記された五百羅漢は昭和46年(1971)に柴田町指定文化財に指定されています。境内に生えるイチョウは推定樹齢250年の古木で貴重な事から昭和48年(1973)に柴田町指定天然記念物に指定されています。大光寺14世環中同一は伊賀国(現在の三重県)の出身で一説には松尾芭蕉の弟とも云われ、俳号「碓花坊也寥」を号する俳人としても知られていました。そのような関係から大光寺の境内には明和5年(1768)に芭蕉の「名月や池をめぐりて終夜」の句が刻まれた「月夜塚」が建立されています。柴田三十三観音霊場第9番札所(札所本尊:子育観世音菩薩・御詠歌:心にも かかる浮世の 雲はれて 妙高山に 月ぞ昇れる)。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。

大光寺:写真

大光寺
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