有壁宿本陣(栗原市金成)概要: 有壁宿本陣は宮城県栗原市金成有壁本町に位置しています。有壁宿本陣は奥州街道の有壁宿に設けられ、松前藩(北海道松前町・藩庁:松前城)、八戸藩(青森県八戸市・藩庁:八戸城)、盛岡藩(岩手県盛岡市・藩庁:盛岡城)、一関藩(岩手県一関市・藩庁:一関陣屋)などの藩主が参勤交代や幕府役人の視察、並びに各藩重臣が通行の際に宿泊や休息したところです。
本陣は大名や幕府役人、公家、高僧など身分の高い人物が宿泊や休息で利用する公的な施設で、宿場の実力者がその任に当たり、有壁宿では佐藤家が本陣職と検断職を明治維新まで歴任してます。
佐藤家は中世、当地を治めた土豪とされ、近世以降は帰農したものの、引き続き支配層として有壁宿の統治の要的存在として大きな影響力を行使しました。
有壁宿本陣の施設は明治時代以降も、明治天皇東北巡幸やロシアコンシュル(領事)などにも利用され、佐藤家には本陣、検断を担った際に資料である「宿場検断文書」、「本陣宿泊文書」、「佐藤家内度文書」、「関札74枚」などを所有しています。
現在の有壁宿本陣の建物は、江戸時代中期の延享元年(1744)に改築したもので、街道には、軒の高さが異なる、木造2階建て切妻平入りの長屋が2棟、隣接して御成門があり敷地内には本屋、土蔵6棟、馬屋1棟で構成されていました。
御成門は通常は開門されず、大名や皇室など身分が高い人のみが利用され、門を潜ると本陣の玄関が張り出し車寄せのようになっていて、式台付の玄関と入母屋の屋根が格式の高さを現しています。建築普請については多くの名工を輩出した気仙大工60人余が担当し、技術的にも高い建物となっています。
奥州街道は明治時代以降も主要道となり、街道沿いの城下町や宿場町は近代都市として発展し本陣の遺構も失われる例が多く、有壁宿本陣の存在価値は大きいと思われます。有壁宿本陣は大変貴重な事から昭和46年(1971)に国指定史跡に指定され、昭和34年(1959)に宮城県指定有形文化財に指定されています。
有壁宿本陣:上空画像
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