有壁宿(栗原市)概要: 有壁の歴史は古く、町並みの最後尾にある観音寺(奥州三十三観音霊場第二十一番札所)は平安時代初期の大同2年(807)に坂上田村麻呂(征夷大将軍、鎮守府将軍)が三上大明神本地観音を建立し伝教大師を開山したと伝えられています。一時は坊舎が24坊を数える大寺院でしたが衰退し、中世一帯を支配した菅原長尚が室町時代後期の弘治3年(1557)に中興開山します。
近世に入り現在の東北地方を縦断する奥州街道が整備されると、有壁は峠前という地理的の要所という事で、元和5年(1619)に宿場町として整備され、有壁宿本陣を始め脇本陣1軒、74軒にも及ぶ旅籠などがありました。
本陣は中世、当地を領した佐藤家が近世以降も支配層としてその任を担い、脇本陣は佐藤家の分家である兵三郎家が就任し現在も萩野酒造を営み、主屋や土蔵などが町並み景観に大きく寄与しています。特に有壁宿本陣は江戸時代中期に改築された頃の姿を良く留め、奥州街道の宿場町に設けられた現存する数少ない本陣の遺構として貴重な事から、建物は宮城県指定文化財、敷地全域は国指定史跡に指定されています。
現在の有壁宿は主要交通網から外れた為往時の活気はありませんが、有壁宿本陣や萩野酒造の土蔵などの古建築があり、町割りや敷地割りなどが大幅に変わっていない為、宿場町としての雰囲気を保っています。特に新しく建替えられた住宅も瓦葺きの寄棟の建物が多く統一感を感じ、水場なども良く管理されています。
有壁宿:上空画像
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