水分神社(七ヶ宿町)概要: 水分神社は案内板によると「江戸時代は御岳蔵王権現社と称されたが、明治維新の神仏分離に際しては、水分神社と改称し祭神は天水分命です。現在の本殿は、桁行一間、梁間一間で入母屋造、妻入りで、さらに前面向拝部が葺き降しになった形をしており、蟇股脚部の形状、その他各所にみられる木鼻彫刻の手法から、江戸時代中期の造りと推定されます。例祭はもとは旧6月・9月の19日であったが現在は4月29日と11月3日に行われ、11月3日は秋まつりとして、御神体を神輿に遷して町内巡行をし、この日は境内で「流鏑馬」の神事も行われています。また、境内にある6本の大杉は、最大のもので、高さ約42m、地際の幹囲9.3m、目通りの幹囲5.5mあり、七ヶ宿町最大のもので樹型も美しく、鎮守の森を代表する極めて貴重な樹木です。天文24年(1555)に社殿造営の際の軒札の記録があることから、この当時に植えた杉であるとすれば、樹齢が430年と推定されます。 七ヶ宿町教育委員会 」とあります。
旧社号である御岳蔵王権現社から蔵王連峰の刈田岳(標高:1758m)の山頂に鎮座する刈田嶺神社と関わりが強い神社と思われます。刈田嶺神社の祭神は天之水分神と国之水分神が祀られていますが水分神社ではその内の天水分命が祀られ、明治初頭に発令された神仏分離令により仏教色(修験)が廃され祭神に因み社号を水分神社に改めています。
御神木である大杉には毒蛇が先代の大杉に棲みつき村人に悪事を働いた為、自らの幹を7日7晩燃やす事で毒蛇を静めたとされ、枯れ際に根元に3本の杉の苗を植えてもらえたら、私は再び蘇り村人を守るだろうと告げたと伝えられています。現在見られる大杉は3本のうちの1本で先代の大杉の霊が宿っている大杉大明神として信仰の対象になっています。
水分神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-七ヶ宿町教育委員会
|
|