七ヶ宿ダム(渡瀬宿)

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七ヶ宿町・観光・歴史・名所
七ヶ宿ダム概要: 七ヶ宿ダムは昭和48年(1973)から平成3年(1991)にかけて建設された宮城県最大のダムで堤高:90.0m・堤頂長:565.0m・堤体積:5100000m3・流域面積:236.6ku・湛水面積:410.0ha・総貯水容量:109000000m3・有効貯水容量:99500000m3の規模を誇ります。これにより七ヶ宿街道の宿場町だった渡瀬宿(55戸)を始め追見(50戸)、原集落(53戸)が湖底に沈み158戸、640人がこの地を離れる事となり過疎化に拍車がかかる結果となりました。その後は特に観光面で力を入れ平成17年(2005)には「ダム湖百選」に選ばれています。

七ヶ宿街道・渡瀬宿: 渡瀬宿は七ヶ宿街道(羽州街道)の宿場町で関宿と下戸沢宿の間に位置していました。本陣は設置されませんでしたが、当地の豪族で延長5年(1600)の関が原の戦いの際、西軍の上杉領に侵攻した伊達家家臣茂庭綱元に協力し功を挙げた古山家が代々く肝入・検断職を歴任しています。検断職とは宿場内の犯罪を取り仕切り、断罪する役職でさらに人馬継立などを行った為(当時の渡瀬宿には馬一八疋と牛八疋)、事実上宿場の中心的な役割を持ち準本陣格とされ建物も規模が大きく格式のある意匠が採用されました。古山家は明治維新により宿場制度が廃止された後も運送会社を設立し長く渡瀬宿に留まり大きく宿場の発展に大きく貢献しています。宿場の中央には枡形があり水路も整備されていました。鎮守である熊野神社の創建は弘治元年(1555)又は慶長年間(1596〜1614年)に紀州熊野大社の分霊が勧請されたのが始まりとされ、神仏習合し熊野山大権現と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され熊野神社に社号を改めています。明治5年(1872)に村社に列するなど渡瀬宿の住民にとって心の拠り所になっていましたが昭和56年(1981)に七ヶ宿ダムの建設に伴い七ヶ宿町字渡瀬6番地から七ヶ宿町字瀬見原40に遷座しています。祭神は熊野加夫呂岐櫛御食野命、伊弉冉尊。又、渡瀬宿には養源寺(真言宗)という寺院も境内を構えていました。

七ヶ宿ダム
七ヶ宿ダム
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