安藤家(旧本陣)概要: 安藤家(旧本陣)は案内板によると「藩政時代、奥羽地方13大名の参勤交代の要路、御城米の運搬路、出羽三山(山形県鶴岡市)詣りの旅人で賑いをみせた山中七ヶ宿街道の中で、260年の年月を経て残る唯一の建造物です。安藤家は、天保期(1829〜1848)以後に、本陣をつとめ諸大名、幕府及び藩役人が宿泊・休息し、また、当時の肝入検断・問屋も兼ねた家柄です。昭和58年に修理を行いましたが、原型造作は以前の姿のままであり、街道に面して平入り、寄棟、茅葺の宿泊専用の1棟があり、この奥にこれと直角に萱葺の住居棟が接続しています。平入りの部分の正面は千鳥破風式の棟飾りをもった玄関が設けられ、内部は田の字型4間取りの座敷などが残されており、屋根軒上に置かれた「くらけ」は、この辺の特徴で、歴史的風格を漂わせ大変に貴重な建造物です。・・・(後略) 七ヶ宿町教育委員会 」とあります。
本陣とは大名や公家、幕府の役人など身分の高い人物が宿泊や休息で利用する施設で、建物の格式も厳格に決められてました。敷地内には表門が設けられ、家人や一般人は潜る事が許されず、玄関も式台付で家人用とは別に設えられています。座敷も一般的の床より敷居が高かった事から上段の間と呼ばれ床の間や違い棚など意匠も凝った造りになっていました。
本陣の施設を維持するには大変な費用がかかる事から一般的には宿場の有力者が担い、安藤家も宿場の上役を歴任しています。当時の課税は敷地間口によって定められている為、一般的な旅籠や町屋は鰻の寝床のような敷地をしていますが、安藤家のような格式がある家は敷地間口も広く街道沿いに庭園や前蔵を設け主屋も平入にする事が出来る為、町並みの中でも異彩を放っています。
安藤家本陣:上空画像
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