齋理屋敷(丸森町)概要: 齋理屋敷は江戸時代から昭和初期まで丸森町で栄えた豪商の町屋建築です。齋藤家は丸森町で七代続いた豪商で呉服の太物から養蚕、醸造業、金融業などを手掛け、明治以降は小学校の建設など地域の復興にも力を注いできました。
阿武隈川に面した事もあり舟運業で周辺が潤っていましたが鉄道が敷かれた事で町自体が次第に衰退し、齋藤家は太平洋戦争後に店を閉めました。屋敷正面には2階建て、土蔵造り、切妻、平入り、瓦葺の店蔵があり、脇に棟門、切妻、妻入りの土蔵が続いています。
この配置は宮城県内で見られる豪商建築の造りの典型で当時の繁栄ぶりがよく解り、敷地内部にも様々な蔵や屋敷が建ち並び、齋藤家の経済力が感じ取れます。昭和61年(1986)に建物と収蔵品が丸森町に寄付され現在は名称「蔵の郷土館齋理屋敷」として町の郷土資料館に整備され一般公開されています。
齋理屋敷の国登録有形文化財
・ 嫁の蔵-明治37年-土蔵造2階建、切妻、銅板葺、妻入、建築面積32u
・ 童の蔵-大正時代-土蔵造2階建、切妻、銅板葺、妻入、建築面積15u
・ 住の蔵-明治時代-土蔵造2階建、切妻、鉄板葺、妻入、建築面積40u
・ 業の蔵-明治時代-木造2階建、切妻、鉄板葺、妻入、建築面積38u
・ 店蔵-嘉永元年-土蔵造2階建、切妻、鉄板葺、平入、建築面積77u
・ 時の蔵-明治時代-土蔵造2階建、切妻、鉄板葺、妻入、建築面積60u
・ 表門-明治時代-切妻、銅板葺、一間一戸、薬医門形式、間口2.3m
・ 裏門及び塀-明治時代-切妻、銅板葺、一間一戸、間口1.8m、建長5.0m
・ 石風呂-明治-石造平屋建、花崗岩(浴槽:白御影石)、建築面積11u
・ 電線用石柱-昭和初期-石造、高さ5.4m
齋理屋敷:上空画像
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