丸森町(川湊町)・町並み

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丸森町:町並み
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【丸森町】丸森町は伊具郡(宮城県)に属し、相馬郡(福島県)と接していた為、中世は伊達家と相馬家の争奪戦が度々行われ戦略的にも重要視された地域です。天文17年(1548)には伊達稙宗が隠居城として丸森城(山城)を築きましたが、家督を譲ったはずの伊達晴宗とは対立した関係で、逆に娘婿である相馬氏が稙宗を支援していました。永禄8年(1565)に稙宗死去すると、事実上の庇護者だった相馬氏は伊具郡、宇多郡に侵攻し丸森城には家臣である門間大和を配します。その後は双方の攻防戦が絶え間なく続けられ天正11年(1583)に伊達輝宗の猛攻により丸森城が落城し、概ね伊達領に落ち着きました。その後、丸森城には伊達家の家臣である黒木宗俊、高野親兼、大條実頼が城主を歴任しています。

江戸時代に入った慶長6年(1601)に行政的に有利で阿武隈川舟運を見据えた位置に鳥屋館(河岸段丘上を利用した平山城)を築き移った為、丸森城は廃城となりました。仙台藩(宮城県仙台市:本城−仙台城)では行政区間として「城」、「要害」、「所」、「在所」の単位を設けて、藩主である伊達家一族や有力家臣を配し、鳥屋館は「所」にあたり、大條実頼、山口内記、遠山勘解由、佐々家(佐々定隆以下7代・知行3千石)が館主を歴任して明治維新を迎えています。

【阿武隈川舟運】−丸森町は経済的には阿武隈川舟運の川湊町として発展した町です。阿武隈川は総延長239キロ、主に仙台藩と福島藩の領内を流れていましたが、米沢藩(山形県米沢市:本城−米沢城)も福島城下(福島県福島市)に藩蔵を設けて阿武隈川舟運を利用しました。河口である荒浜から丸森までは比較的、川底が深く水量も豊富だった事から舟運船も入り易く、丸森が川湊町として繁栄した要因の1つとなっています。その後、豪商だった渡辺友以が丸森より上流域の難所の川底を広げるなど開削した為に福島城下まで舟運船が行き交うようになりましたが、丸森〜福島までは小型船でしか通行出来なかった為、丸森の川湊で大型船に荷物の積み替えが行われ、引き続き重要視され続けられました。舟運により富がもたらされると、多くの豪商を輩出するようになり、特に齋藤家は江戸時代から昭和初期にかけて呉服、太物の商、養蚕、味噌醤油の醸造などを生業にして大きく財を得て広大な屋敷を構えるまでになりました。

明治時代後期以降、阿武隈川舟運の衰退と、近代交通網の整備に伴い丸森町の優位性が失われ衰微しましたが、現在も豪商だった齋藤家の邸宅は現存し「齋理屋敷」として整備され一般公開が行われています。齋藤家住宅(齋理屋敷)の店蔵、住の蔵、業の蔵、時の蔵、嫁の蔵、童の蔵、石風呂、避雷針用鉄塔、外灯、電線用石柱、表門、裏門及び塀は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との理由から国登録有形文化財に登録されています。

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