【 概 要 】−伊達斉村は安永3年(1775)に仙台藩7代藩主伊達重村と正操院(喜多山美哲の娘)との子供として生まれました。天明3年(1783)に嗣子となり、天明7年(1787)に元服すると11代将軍徳川家斉から偏諱を受け「斉村」に改め従四位下、侍従、美作守を賜っています。寛政2年(1790)、重村の隠居に伴い24代伊達家宗家の家督を継ぎ、仙台藩8代藩主に就任しています。寛政8年(1796)には岩松壽隆の嘆願を受け作並温泉(宮城県仙台市)の開湯の許可を行っています。寛政8年(1796)仙台城で死去、享年23歳、戒名:永慶院殿桂山蘭榮大居士。後継ぎと目された長男である伊達周宗は乳児だった事から、斉村の死は秘匿され、末期養子として許可を得てから正式に死去が発表されています。
伊達斉村は社寺の保護も行い、天明6年(1787)には華足寺(宮城県登米市)に馬頭観音堂(登米市指定文化財)を寄進、寛政3年(1791)には佐倍乃神社(宮城県名取市)の本殿(名取市登録文化財)を再建、寛政4年(1792)と文化9年(1812)に竹駒神社(宮城県岩沼市)に朱印状発布(斉村は寛政8年:1796年に死去している事から年号又は大旦那名の何れかが異なっていると思われます)。
文政2年(1819)には熊野神社新宮社(宮城県名取市)の文殊堂を再建(斉村は寛政8年:1796年に死去している事から年号又は大旦那名の何れかが異なっていると思われます)、文政元年(1818)には青麻神社(宮城県仙台市)を参拝しています(斉村は寛政8年:1796年に死去している事から年号又は大旦那名の何れかが異なっていると思われます)。※詳細は良く判りませんが、9代藩主伊達周宗が元服するまでは斉村の名で寄進や安堵が行われたのかも知れません。
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