浮島神社(多賀城市)概要: 浮島神社は宮城県多賀城市浮島一丁目に鎮座している神社です。浮島は古来歌枕で歌われた地として比定されている場所で、新古今和歌集で「塩竃の前に浮きたる浮島のうきて思ひのある世なりけり」と山口女王が詠っています。現在は宅地化していますが、当時は田圃の中に浮いている島のようだったのかも知れません。
平安時代後期には陸奥守の橘為仲が「いのりつつなをこそたのめ陸奥にしづめたまふな浮島の神」と詠った事から当時から神社が存在していたと推察出来ます。「封内風土記」には式内社である多賀神社と同一視しているような記述があります。又、「安永風土記」では「当時宮堤と申所に多賀明神の御社相立ち候 山浮島に御座候由」と記されています。
浮島神社の創建年は不詳ですが、多賀城が8世紀前半頃に築城された前後に勧請されたと推定される神社です。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている多賀神社の論社でもあり、古くから格式の高い神社だった事が窺えます。
多賀城が健在だった時代は社運が隆盛し、平安時代後期の延久6年(1074)には陸奥国を代表して御卜を受ける3社(浮島神社・塩竈神社・鳥海神社)の1つに選定されています。
江戸時代中期の元禄年間(1688〜1704年)に編纂された「鹽社由来追考」によると塩釜神社が擁した末社14社の1社として記載されており、江戸時代には既に塩釜神社と関係が深かったと思われます。元禄2年(1689)5月8日には松尾芭蕉が奥の細道の際に「浮島」を訪れている事から当社を参拝した可能性があります。
明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、現在の社号である「浮島神社」が確定し村社を列しています。浮島神社社殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。祭神:奥塩老翁神・奥塩老女神。
浮島神社:上空画像
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