丸森町小斎: 鹿島神社

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概要・歴史・観光・見所

鹿島神社(丸森町)概要: 鹿島神社は宮城県伊具郡丸森町小斎字日向に鎮座している神社です。鹿島神社の創建年は不詳ですが景行天皇(第12代天皇・在位:西暦71〜130年)の御代、皇子である日本武尊が東国に派兵され当地を訪れた際に勧請され、国家鎮護を祈願したと伝えられています。

平安時代の貞観8年(866)に編纂された「日本三代実録」に常陸国鹿島大神の苗裔神伊具郡に一社と書かれ、その神社が当社とされる事から、それ以前から鎮座した古社だと推定できます。中世は小斎城の城主小斎氏の庇護を受け、永禄9年(1566)に相馬家の侵攻により小斎城が落城すると、相馬家の家臣である佐藤好信が城代となりその後は佐藤家の崇敬社となりました。

天正9年(1581)、当時の城代佐藤為信は相馬家を離反、伊達家に与し金山城の攻防戦など大きな戦功を挙げた為、引き続き領土が安堵され、明治維新に至るまで領主を歴任し鹿島神社を庇護しました。

鹿島神社は古くから神仏習合し、修験宝成院が祭祀を司り「鹿島大明神」と呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令と、その後に発布された修験道廃止令により明治3年(1870)に修験宝成院は廃され、社号を「鹿島神社」に改め、明治5年(1872)に村社に列し、明治40年(1907)に幣帛供進神社に指定されています。

鹿島神社本殿は天文元年(1532)に造営されたもので、一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り、華美な装飾が少なくシンプルな構成です。拝殿は寛政4年(1792)に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝木鼻に施された龍の口から波のような水を噴出しており火防を祈願したのかも知れません。

例祭である奉射祭は馬に乗らない弓士10名が行う流鏑馬神事で寛永20年(1643)から始まったと言われています。神主が放つ12本の矢は月々の天候を占うもので白に当たれば晴の日が多く、黒に当たれば雨が多く、的が外れると風が強く吹くと言われています。祭神:武甕槌神。

小斎鹿島神社:上空画像


小斎鹿島神社:ストリートビュー

鹿島神社:写真

鹿島神社
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