志波彦神社

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創建年孝昭天皇の御代(紀元前475年〜紀元前393年)
祭  神志波彦神
格  式式内社(名神大)・国幣中社・別表神社
文化財 本殿(昭和13年、三間社流造、桧皮葺、外壁は朱黒漆塗り、彫刻部は極彩色、塩釜市指定文化財)
本殿付属(昭和13年、周囲透構、左右神塀、東西透塀、周囲玉垣、塩釜市指定文化財)
拝殿(昭和13年、入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、梁間3間、正面3間向拝付、塩釜市指定文化財)
神門(昭和13年、切妻、銅板葺、一間一戸、四脚門、両側袖壁潜り戸付、塩釜市指定文化財)
手水社(昭和13年、切妻、銅板葺、4本柱吹き放ち、朱黒漆塗り、塩釜市指定文化財)
その他(昭和13年、弊殿・回廊・渡殿・大島居、塩釜市指定文化財)

神  事例祭:3月29日
場  所宮城県塩竈市一森山
備  考志波彦神社が何時頃から祀られているのかは不詳ですが孝昭天皇の御代(紀元前475年〜紀元前393年)に旧宮城郡岩切村の冠川の辺(仙台市宮城野区岩切)勧請したされます。諸説ありますが、祭神である志波彦神は鹽竃の神に従った塩土老翁神の事で志波姫神社(名神大社: 陸奥国 栗原郡鎮座)の祭神と同神とも云われています(陸奥国には志波を冠にする地名や神社が点在する事から地主神的な存在だったとも)。記録的な初見は天智天皇3年(670)に圭田を奉納した事が記載されていた事から少なくと奈良時代には既に存在し、格式も高く「三大実録」によると貞観元年(859)正月27日従四位下に列し(正五位下勲四等志波彦神)、平安時代中期に成立した延喜式神名帳では名神大社として列格されていました。陸奥国の国府が置かれた多賀城に近く、交通の要衝(東山道と多賀城に至る官道との結束点)に鎮座し格式が高かった事から重要視されていた事が窺えます。歴代領主からも崇敬庇護され伊沢氏や留守氏から社領の寄進や社殿の造営などが行われたと思われますが、往時の繁栄には至らず、戦国時代の天正年間(1573〜1592年)の兵火により社殿や記録、社宝が焼失後はさらに衰微し、延宝3年(1675)に再興した際には社殿(現在の冠川神社)が1間社程度と縮小、牛頭天王社(現在の八坂神社)に合祀されています。明治4年(1871)に国幣中社に列したものの、境内が狭く社殿も小規模だった為、明治7年(1874)に塩釜神社の境内の別宮殿角に遷座し昭和13年(1938)に現在地に社殿を造営し再遷座しました。
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