平沢要害

宮城県:歴史・観光・見所宮城県の城郭>平沢要害
平沢要害:略データ
・場 所・宮城県刈田郡蔵王町大字平沢字内屋敷
・築城年・−
・築城者・国分河内入道、中島右衛門、甘糟景継
・城 主・国分氏、中島氏、甘糟景継、高野氏
・構 造・要害
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・平沢要害の前身である勝岡城(平沢城)が何時頃築かれたのかは判りませんが、「伊達家文書」の応永9年(1402)11月30日付の伊達9代当主伊達政宗が家臣である国分河内入道宛の書状に「陸奥国苅田郡平沢郷北方事、右、早く越後入道宣久談合せしめ、先例に任せて沙汰を致さるべきの状 件の如し」と記されている事から、国分河内入道が勝岡城を築城、又は既存の城を修築した可能性があります。

国分氏は、元々信濃国(現在の長野県)の国内に領地を持っていましたが、奥州に下向すると伊達家の家臣となっています。

惣領と思われる国分彦四郎入道は伊達領内の統治に重要な役割を担い、嘉慶2年(1388)に伊達政宗によって出羽国置賜郡長井庄萩生郷(現在の山形県西置賜郡飯豊町萩生)を与えられ、下長井の被官衆を指揮する立場となっています。

応永14年(1407)3月15日に発布された伊達氏宗の国分河内入道宛の安堵状にも「平沢郷の北方」と記されており、引き続き当地を安堵されています。

文安4年(1447)4月27日に発布された国分沙弥道喜譲状によると「奥州かつた平沢之郷の内、おほいし在家 おつと内在家 平沢のたて 田中在家」等と記されている事から当地が引き続き国分氏領で犬松に譲られている事が判ります。

天文2年(1533)に発布された国分源六郎宛の中島親信の書状によると「平沢に候其方御領分一宇萩生に候それがし領分一宇地かひあらしめたき由」と記されており、平沢の地が中島領となっています。

伊達治家記録、天正16年(1588)閏5月16日条の考按によると「中島右衛門宗意は柴田郡平沢邑に住す」と記されており、引き続き中島氏が当地を支配していた事が窺え、中島右衛門によって勝岡城が築かれたとの説があります。

勝岡城は天正19年(1591)頃に上杉家の家臣である甘糟備後守が築城したとの伝承が伝えられていますが、史実では同年に伊達政宗が奥州仕置きにより米沢城(現在の山形県米沢市)から岩出山城(現在の宮城県大崎市岩出山町)に移封となり、代わって刈田郡は蒲生氏郷領となっている事から、当地には蒲生家の家臣が配されたと思われます。

慶長3年(1598)に刈田郡が上杉景勝領になると甘糟景継が2万石で刈田郡白石城の城代となった事から、景継によって勝岡城が築城、又は修築した事が誤って伝わった可能性があります。

慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いで、西軍に与した上杉景勝は本戦で西軍敗北の報を受け自領に引き上げた為、当地は東軍に与した伊達政宗に席捲され、江戸時代は伊達家が藩主を務めた仙台藩領となっています。

慶長7年(1602)に伊達家の家臣である高野家が当地を与えられたとされ、慶長年間末(1610年頃)に高野家15代当主高野光兼が家中70余名を引き連れて当地に入部しています。

高野家は元々、常陸国多珂郡高野庄を本貫とした鎌倉幕府の御家人だったとされ、8代当主高野知定の時に出羽国置賜郡長井庄に下向し、伊達家が長井庄を制圧するとそれに従っています。

14代当主高野親兼は伊達輝宗、政宗に従い、主要な合戦に従軍し功績を挙げた事で、天正17年(1589)に要衝である丸森城の城主に抜擢され知行地百貫文も安堵されています。

親兼が死去すると、跡を継いだ光兼はまだ幼少だった事から、丸森の地は長年伊達家と対立してきた相馬氏が藩主を務める中村藩と接する重要拠点だった事もあり、平沢に遷されたと伝えられています。

寛文年間(1661〜1673年)には16代当主高野可兼が伊達騒動で連座した原田甲斐の孫2名を預り、当城内で処刑しています。

18代当主高野武兼は仙台藩4代藩主伊達綱村から領内の社寺の整備等に重用され、その功績から百六十五貫文に加増され、19代当主高野倫兼は仙台藩の若老に抜擢されています。

一方、勝岡城は一国一城令により一端廃城となり、仙台藩の行政区である要害として、改めて整備されています。

その後も高野家が平沢要害の主を歴任し明治維新を迎え、廃藩置県により仙台藩が廃藩になると廃館となっています。

平沢要害は本丸と二之丸の二郭構成で周囲を堀と土塁で囲い、南側には広い堀と桝形の大手門が配されています。

現在は蔵王町北部地区コミュニティーセンターや蔵王町平沢地区公民館の敷地として利用され、周辺がグランドに造成された為、目立った遺構は失われています。

宮城県:城郭・再生リスト
平沢要害:付近地図
宮城県の城郭
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「宮城県:歴史・観光・見所」は「宮城県の歴史」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−宮城県」、「日本の城下町−東北(二)」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」、「歴史道路報告書」、を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。