涌谷神社概要: 涌谷神社は宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町一丁目に鎮座している神社です。涌谷神社は由緒書きによると「伊達安芸宗重公は涌谷伊達亘理氏第4代の館主である。仙台藩伊達氏の一門として2万3千石を領し、治世20年文武を励み野谷地の開発に力を尽くし産業の復興につとめた名君である。
江戸時代の寛文年中仙台藩主綱村公幼君のため後見伊達兵部の独裁政治を憂い悪人はびこる後見政治の打倒をはかり仙台藩62万石の安泰を期した大人物である。涌谷領二郷谷地をめぐる不正を証拠として江戸幕府に上訴、寛文11年(1671)3月27日大老酒井忠清屋敷の裁判において乱心した家老原田甲斐の内刀に歿した。
享年57歳、昭和2年11月正五位を贈られている。明治7年旧館址に神社を創建して公を祀る神号を赤心猛雄命と称する。大正9年旧物見台に神明造の新社殿が竣工して今日に至る。 もと郷社である。 」とあります。
涌谷神社社殿は大正9年(1920)に造営されたもので木造平屋建て、切妻、銅板葺、神明造、桁行4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り、華美な装飾を排したシンプルな構成です。涌谷神社が鎮座している場所は中世の涌谷城の本丸だった場所で、城の中では1番の高所で藩政時代には物見台となっていました。
境内一円は涌谷城の城跡として貴重な事から平成20年(2008)に涌谷町指定史跡に指定されています。又、伊達安芸宗重公の菩提は城下町にある見龍寺に葬られ霊屋は宮城県重要文化財に指定されています。
涌谷神社:上空画像
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-涌谷神社
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