箟峯寺(涌谷町)概要: 無夷山箟峯寺は宮城県遠田郡涌谷町箟岳神楽岡に境内を構える天台宗の寺院です。箟峯寺は案内板によると「 箟峯寺とは観音堂、白山社などを中心として古くは24坊からなる一山寺院(総称)である。
山頂にある観音堂は、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地において蝦夷を討ったとき敵味方の戦死者を葬り、京都清水寺の十一面観音を勧請、僧延鎮を以って開山し、大同2(807)年に建てられたものと伝えられる。この山は非常に霧深いところから法相宗霧岳山正福寺と称した。
その後嘉祥2年(849)年、天台宗総本山比叡山延暦寺の第3世慈覚大師(円仁)が布教にこの地に来たとき堂宇を増建、無夷山箟峯寺と改称。以来、殺生禁断、女人禁制の聖地、また奥州鎮護の祈願所として南北朝時代には葛西、大崎の両氏、江戸時代には仙台伊達藩の外護を受けた。
観音堂は2度焼失し、現在のものは嘉永4(1851)年に再建されたものである。箟峯観音は奥州三観音のひとつ、奥州33霊場第9番札所と知られる。」とあります。
箟峯寺正月行事は毎年1月25日、鎮守社である白山社の例祭である白山神事(御弓神事)と箟峯寺の修正会が合同で行われる神仏習合時代の名残を残す行事で、貴重な事から昭和57年(1982)に宮城県指定無形民俗文化財に指定されています。
箟峯寺の境内は聖域だった為、古木大木が多く、夫婦杉(推定樹齢900年、樹高26.6m、幹周4.55)と、次郎杉(樹高23.7m、幹周4.92m)、三郎杉(樹高29.5m、幹周5.15m)、四郎杉(樹高28.5m、幹周4.17m)が昭和60年(1985)に涌谷町指定天然記念物に指定されています。
箟峯寺観音堂は江戸時代後期の嘉永4年(1851)に再建されたもので、木造平屋建て、宝形造、銅板葺き、桁行5間、張間6間、正面3間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。江戸時代後期の大型御堂建築の遺構として貴重な事から平成31年(2019)に宮城県指定有形文化財に指定されています。
箟峯寺山門(仁王門)は入母屋、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、梁間2間、八脚単層門、左右には「微笑み仁王」の別称がある個性的で朱塗りの仁王像が安置されています。山門(仁王門)は江戸時代後期の寺院山門建築の遺構として貴重な事から平成30年(2018)に涌谷町指定文化財に指定されています。
白山堂は宝形造、銅板葺き、桁行1間、梁間1間、正面1間向拝、外壁は真壁造り板張り、御堂建築の遺構として貴重な事から平成30年(2018)に涌谷町指定文化財に指定されています。
奥州三十三観音霊場第9番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:知恵の矢に 射る箟竹の ふしこめて 大慈大悲の 月も弓張)。奥州七観音(箟岳観音)。山号:無夷山。宗派:天台宗。本尊:十一面観世音菩薩。
箟峯寺:上空画像
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