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興福寺概要: 案内板によると「興福寺は大同3年坂上田村麻呂の創建開山以来修験の道場としてさかえたが戦国の兵火に焼かれて中絶したものを元和12年永盈が中興し出羽の羽黒山に属した神仏が分離後遠田郡箟峯寺末となる。宝永5年5月8日観音堂焼失さらに年月を経て大破、明治15年末改築再建が計画された明治21年4月現在の観音堂(本堂)の竣工後持仏堂として現在に至る。六角堂は観音堂の竣工に先立ち造替して本尊の仮遷座にあてた道場であり仮本堂であった。住職獄内啓謙同恭諄大工棟梁鈴木長作、脇棟梁内館倉之助同今野忠三郎により明治17年4月に創建その後屋根の葺替、土台改修、外部腰を人造石洗出し仕上げに改めて現在に至る。・・・(後略) 南方町教育委員会」 とあります。興福寺六角堂は和風建築と洋館を掛け合わせた形式をもっていてベランダや窓の仕様など洋風建築の要素を取り入れています。昭和51年に南方町(登米市)指定文化財に指定されています。
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| 興福寺 |
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