多賀城碑概要: 多賀城碑は案内板によると「多賀城碑は、砂岩を加工して碑面をつくり文字を彫り込んだもので、高さ約2メートル、幅約1メートル、厚さ約70センチメートルで、碑面は西を向いて立てられています。・・・(中略)・・・碑面には、上部に大きく「酉」の字があり、その下の長方形の枠線の中に11行140字が刻まれています。
碑文の内容は大きく分けて二つの部分から成ります。前半は、多賀城の位置を京や国の境からの距離を示しています。後半は、多賀城が神亀元年(714)に大野朝臣東人によって設置されたこと、天平宝子6年(762)藤原恵美朝臣朝葛によって修造されたことを記され、最期に碑が建てられた年月日が刻み込まれています。
碑文の内容から藤原恵美朝臣朝葛の事業を顕彰するために建てられた多賀城の修造記念碑とみることができます。また、碑は、歌枕として有名な「壺碑」とも呼ばれており、元禄2年(1689)には松尾芭蕉もこの碑を訪れ、深く感動し、涙を流した様子を「おくのほそ道」の中に書き残しています。多賀城碑は、群馬県吉井町の多胡碑、栃木県湯津上村の那須国造碑とともに日本三大古碑のひとつです。 多賀城市教育委員会 」とあります。
多賀城碑は大変貴重な事から平成10年(1998)6月30日に国指定重要文化財(古文書)に、平成26年(2014)10月6日に名称「おくのほそ道の風景地」の構成要素の一つ「壺碑(つぼの石ぶみ)」として国指定名勝に指定されています。
多賀城碑:上空画像
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