大河原町: 大高山神社

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概要・歴史・観光・見所
大高山神社(大河原町)概要: 大高山神社は宮城県柴田郡大河原町金ヶ瀬字台部に鎮座し、案内板によると「江戸時代まで柴田郡総鎮守として崇められた当社は、敏達天皇が即位した敏達元年(571)に日本武尊を祭神とし創建、後に推古天皇御代、聖徳太子の父橘豊日尊(用命帝)も合祀された。承知9年(842)従五位の下から昇叙(格上げ)、左大臣藤原忠平がまとめた延喜式には、国から貢ぎ物を受ける。全国285社の一社となり、明治5年(1872)には郷社となる。本殿は江戸中期の建物で、施設内には国重要文化財の東北最古の鰐口(1293銘)、文治年間(1185〜1189)藤原忠衡寄進の鉄九輪塔、江戸期の絵馬など貴重な文化財を多く所蔵する。」とあります。

大高山神社の創建は不詳ですが、平安時代に編纂された「続日本後紀」によると承和9年(842)に従五位下、「日本三代実録」によると貞観11年(869)に従五位上に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には格式の高い「名神大社」と記載されています。平安時代後期には奥州藤原氏第3代当主藤原秀衡の3男である和泉三郎忠衡により鉄塔1基が奉納され、承暦2年(1078)には源頼義が社殿を造営しています。古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治5年(1872)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。創建当初は日本武尊が東夷東征の際に仮宮が設けられた新開に鎮座していましたが大正3年(1914)に現地へ遷座しています。

現在の社殿は江戸時代中期の元禄年間(1688〜1704年)に火災にあい、その後再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は三間社入母屋、鉄板葺き、桁行3間、張間2間、正面1間向拝付き。神仏習合の名残である鐘楼は入母屋、鉄板葺き、外壁は柱のみの吹き放し。村田町にある白鳥神社や熊野神社と同様に白鳥信仰の言い伝いもあり興味深いところです。祭神:日本武尊、橘豊日尊。

大高山神社:写真

大高山神社
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