村田町: 白鳥神社

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概要・歴史・観光・見所

白鳥神社(村田町)概要: 白鳥神社は宮城県柴田郡村田町大字村田字白鳥神社(村田町)七小路に鎮座する神社です。白鳥神社の境内は古来、日本武尊(第12代景行天皇皇子)が東夷東征の際、陣を構えた地とされ、景行天皇43年日(113)に日本武尊が死去した事を偲んで景行53年(123)に御霊を勧請したのが始まりと云われています。平安時代後期の弘仁3年(812)に弘法大師空海(真言宗開祖)がこの地を訪れ境内に定龍寺を開山し、本尊(本地仏)となる十一面観音像を安置、以降神仏習合します(天保12年:1841年に焼失)。前九年合戦(平安時代後期に奥州の豪族である安倍氏が越した反乱。)平定の折、康平5年(1062)に源頼義、義家が戦勝祈願し奉じた義家の寄進状が残されています。同時に義家には戦局が苦しくなった時、大蛇に姿を変えた境内の大藤(奥州の蛇藤)に助けられたという伝説も伝わっています。

承暦2年(1076)には陸奥国司の命により社殿が造営され、鎌倉時代初期の文治5年(1189)には源頼朝(初代鎌倉幕府将軍)が宝鏡と太刀を寄進し奥州藤原氏との戦いの戦勝祈願しています。南北朝時代の建武2年(1335)には南朝の有力武将で陸奥守だった北畠顕家が出陣の際に、白鳥神社で戦勝祈願を行い太刀を奉納しています。

以来、村田氏、伊達氏、奥山氏、田村氏、芝多氏、片平氏と歴代の領主(村田城の城主)の崇敬の対象となり様々な奉納物を寄進されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され、現在の「白鳥神社」に社号を改め、明治2年(1869)に村社、大正3年(1914)に郷社に列しています。

白鳥神社本殿は三間社流造、銅板葺き。拝殿は江戸時代中期の元禄元年(1688)に改修された古建築で、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間、正面1間向拝付き。境内には「公孫樹(銀杏−高さ30m、根幹9.8m)」や「欅(高さ20m、根幹9.6m)」、「奥州の蛇藤」などの巨木があり白鳥神社の歴史を感じる事が出来ます。

社宝が多く「源義家自筆太刀寄進状」と「定龍寺縁起説全二巻」が村田町指定文化財、境内が村田町指定史跡に、「フジ・ケヤキ・イチョウ・シラカシ」が村田町指定天然記念物に昭和44年(1969)にそれぞれ指定されています。祭神:日本武尊。

白鳥神社:上空画像

【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-村田町教育委員会・村田町文化財保護委員会
・ 現地案内板-村田町教育委員会
・ 現地案内板(由来碑)-白鳥神社


白鳥神社:ストリートビュー

白鳥神社:写真

白鳥神社
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