願勝寺(村田町)概要: 願勝寺は明治3年(1870)に大火で焼失した為、廃城となった村田城(所)を明治4年(1871)に払い下げを受け、二の丸跡地は移りました。しかし、大正11年(1922)に村田第一小学校拡張工事の為、立ち退きを余儀なくされ、現在地へ再度移る事になります。
その際、旧村田城(所)の大手門も一緒に移設しました。大手門の建築年代は不明ですが、江戸時代末期の慶応2年(1866)に書かれた「居屋敷並家中屋敷絵図図面」には大手門が描かれていている事から、それ以前に建てられたものだと推察されています。
大きさは幅は3間半、奥行1間1尺で城門時代は萱葺だったようです。村田城の唯一の遺構として昭和44年(1969)に村田町指定史跡に指定されています。又、境内には小所化(武士)と大沼美都(商人の娘)との身分が異ることで、恋が実らず心中した2人を弔った「恋塚」があります。宗派:真宗大谷派。
願勝寺:上空画像
薬医門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-村田町教育委員会
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