弁慶坂(大崎市松山)概要: 弁慶坂は案内板によると「千石城本丸南側の堀切である。文治2年(1186)源義経主従が阿仁の頼朝に追われて平泉の藤原秀衡を頼って行く途中、通過を拒まれたので馬を躍らせて岩壁を越えて行った。その時の武蔵坊弁慶の馬蹄の跡が残ったと伝えられる。附近に文覚上人遺址碑、文覚上人垢離の池がある。 松山町教育委員会 」とあります。