平八幡神社(気仙沼市)概要: 平八幡神社の創建は平安時代後期に発生した前九年合戦の際源頼義が戦勝祈願の為、ここに訪れ天喜・康平年間(1053〜1065年)に八幡神を勧請したのが始まりとされます。鎌倉時代に入ると文治5年(1189)の奥州合戦で大功があった熊谷直実の孫である熊谷直家が当地の領主となり、歴代熊谷家が平八幡神社を篤く信仰しました。
その後、熊谷氏によって建暦元年(1211)と応永7年(1400)に社殿の造営が行われ、戦国時代に葛西氏が台頭すると葛西満信によって米15石、銭30貫文が寄進されています。天正18年(1590)、葛西氏は小田原の役の際、豊臣軍に参陣しなかった事から、その後に行われた奥州仕置きにより改易となり没落、庇護者を失った平八幡神社は衰微しました。
江戸時代に入ると仙台藩主伊達家から庇護され、2代藩主伊達忠宗により気仙沼郷総鎮守に指定され、5代藩主伊達吉村も参拝に訪れています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治5年(1872)に村社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進社に指定されています。社殿は近代に入ってから建替えられたものですが、多くの彫刻が施され、気仙大工の力量を伺え知る事が出来ます。
境内の参道脇には6本の巨大な「さわら」が残っていますが、源義家が創建時に植えたと伝承(その時は8本)が残っており、推定樹齢は7〜8百年と推定されています。又、この「さわら」は平八幡神社境内が北限とされる為、学術的価値も高く昭和34年(1959)に宮城県指定天然記念物に指定されています。
平八幡神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-気仙沼市教育委員会
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