羽黒神社(気仙沼市)概要: 羽黒神社は宮城県気仙沼市字後九条に鎮座する神社で、案内板によると「伝記などによりますと、今からおよそ1160年前、嵯峨天皇の弘仁年間のことといわれます。五條民部中納言菅原昭次卿が行くえ知れずとなった妻子(玉姫と一若)を捜し求めてこの地にたどり着きました。そして、もはや神のお力にすがるよりほかはないと羽黒大権現に祈願をこめました。すると2羽の霊鳥が道案内に飛び立ち、今の陸前高田市米崎町あたりに着きました。なんと、そこでなれない田植え仕事をしている妻子とめぐり逢えたというのです。昭次卿は羽黒権現の神恩に感謝し、当時は小さな祠であったのをりっぱな社殿とし、玉姫の守り本尊であった聖観世音像をお祀りして神社を中心に地域の発展に尽くしたということです。現気仙沼高校付近は昭次卿のやしき跡であったといわれ、卿を祀る祠があります。また羽黒神社の南西にある大塚神社は昭次卿の墓所といわれております。そしてこの辺は一帯は中納言原とよばれてました。九条、田中地域が気仙沼の集落発祥の地といわれるわけはここにあります。以来幾星霜、国の宗教政策により寺号を変えたこともありますが、地方随一の古社として郷社に列せられ、いまも霊験あらたかな郷土の守護神として多くの信心を集めております。・・・(後略) わらじの会建之」とあります。
羽黒神社の創建は不詳ですが、当地を開発した際に海陸鎮護の為に勧請されたとも、嵯峨天皇(第52代天皇・在位:大同4年:809年〜弘仁14年:823年)の御代である弘仁年間(810〜824年)に五條民部中納言菅原昭次卿によって勧請されたとも云われています。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社計仙麻神社の論社で、これが事実とすれば、貞観元年(859)正月従四位下に列していた事になります。ただし、延喜式神名帳に記載されている計仙麻神社の鎮座地は牡鹿郡とされ、一方、羽黒神社の境内は桃生郡に属する為、疑問視する説もあります。
古くから神仏習合し江戸時代には「計仙麻惣鎮守羽黒山白山両権現」と称し本地仏を奉斎していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式を一層し明治3年(1870)に社号を「羽黒神社」に改称、明治5年(1872)に郷社に列しています。祭神:倉稲魂命。
羽黒神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 現地案内板(由来)-わらじの会
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