伊達家霊廟(大崎市岩出山)概要: 伊達家霊廟は岩出山伊達家の代々埋葬された所です。初代岩出山伊達宗泰は慶長7年(1602)、仙台藩の初代藩主である伊達政宗の四男として生まれ、慶長8年(1603)には形式上、岩出山城の城主3千石が与えられています。
寛永4年(1627)には従五位下三河守に叙任、石高も1万石余となり5万石の大名格への内示を受けましたが、寛永15年(1639)に江戸へ向う途中に疱瘡を患い急死し、この地に埋葬されています(享年37歳)。当初は桃山文化を継承するような、霊廟建築があり宗泰公の木像が安置されていたそうですが、明治9年(1876)に火事により焼失しました。左右には殉死者の墓碑が5基づつ建てられ、宗泰公の影響力が窺えます。
3代敏親は涌谷伊達家3代当主伊達宗元の5男として生まれ延宝5年(1677)に岩出山伊達家の家督を継ぎ、学問所である有備館を開いた人物としても知られています。又、一段下がった平地には2代宗敏公(霊廟が建てられましたが、初代同様に焼失。)から歴代の墓碑が建てられ、十代邦直公の蝦夷地開拓の顕彰碑や石狩当別の旧家臣の子孫達が先祖供養の石碑が建てられています。
伊達家霊廟:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-岩出山町教育委員会
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