鍋倉山八幡神社(大崎市岩出山)概要: 鍋倉山八幡神社は大崎市岩出山字下金沢に鎮座している神社です。鍋倉山八幡神社の創建は平安時代後期の永承6年(1051)から康平5年(1062)に発生した奥州の動乱である前九年合戦の折、源義家が当地まで進軍し、戦勝祈願する為、京都の石清水八幡宮(京都府八幡市八幡高坊)の分霊を勧請した事が始まりと伝えられています。
中世はこの周辺地域を支配した大崎氏(名生城の城主、奥州探題)や、その家臣で岩出山城の城主である氏家家から庇護されますが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原の陣に参加しなかった為、大崎氏は改易され、代わって、米沢城(山形県米沢市)から岩出山城に移封となった伊達政宗の崇敬社となりました。
政宗は豊臣秀吉の奥州仕置きの不満から発生した葛西大崎一揆の鎮圧の際に鍋倉山八幡神社で戦勝を祈願し、見事何願成就した事から、神意に感謝し社殿の造営と社領30石を寄進しました。政宗が仙台へ移った後も岩出山には4男の伊達宗泰が入り、代々伊達家が祭事を行ったとされます。
明治初頭の神仏分離令により、岩出山城内にあった八幡平(伊達家の米沢時代の崇敬社である成島八幡神社の分霊を勧請し創建された神社。)を合祀し村社に列格し社殿を建替えましたが明治9年(1876)に長床(神社山門)や樹木などを火事で焼失、明治12年(1879)に郷社に列しています。
鍋倉山八幡神社境内には神仏混合の名残である鐘楼が残されています(元々は岩出山伊達家2代目当主伊達宗敏が藤原宗俊に鋳造させ奉納した梵鐘がありましたが、太平洋戦争の際に供出し、現在は昭和35年に鋳造された梵鐘が吊り下げれられています)。
境内にある樅の木は源義家が討伐祈願と領内鎮護を祈願した際に4本の樅の木を植樹したという伝説が残る古木で、平成12年(2000)に大崎市(旧岩出山町)指定天然記念物に指定されています。祭神:応神天皇。配祀:軻遇突智命、天照大神、宇賀魂命。
鍋倉山八幡神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-岩出山町教育委員会
・ 現地案内板(由緒)-鍋倉山八幡神社
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