齋藤家住宅(石巻市)概要: 齋藤家は秋田県大仙市の池田家、山形県酒田市の本間家と並び東北三大地主と称されています。
齋藤家は中世、当地を支配した葛西家の家臣で(葛西家は当時、石巻城を居城としていた)、武家の家柄でしたが、天正18年(1590)の小田原の陣で葛西氏が参陣出来なかった事から、その後の奥州仕置きにより改易となり、齋藤家は帰農する道を選びました。
本家齋藤家7代目の弟である善九郎が分家して当家の初代当主になると次第に発展し、2代善兵衛は享保年間(1716〜1735年)から酒造業を創業、4代善次右衛門は深谷の大肝入、6代善右衛門は永代大肝入格、7代善次右衛門で現在地に屋敷を構え発展の基礎を固めています。
明治時代に入ると代議士など政治家を輩出し、地域発展や文化興隆にも大きく尽力し広大な土地(大正時代には田畑1500ha)の獲得にも成功しています。
往時は主屋の他、様々な建物が敷地内に建てられていましたが、太平洋戦争後の農地解放や、地主制度廃止令などで広大の土地が取り上げられ、主屋や清楽亭、無一庵などが解体されました。
現在の建物(木造平屋、寄棟、萱葺)は天保年間(1830〜1844年)に建てられたもで内部が宝ヶ峯縄文記念館として改修されています。特に庭園(齋藤家九代善右衛門が明治後期に造成した庭園)は素晴らしく平成7年(2005)5月に国名勝に指定されています。
宝ヶ峯縄文記念館(齋藤氏庭園):上空画像
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