下戸沢宿(七ヶ宿街道)・茅葺屋根・町並み

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下戸沢宿(七ヶ宿街道)
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【七ヶ宿街道】七ヶ宿街道は出羽国(現在の秋田県・青森県)を縦断し、油川宿(青森県青森市)と桑折宿(福島県伊達郡桑折町)を結ぶ羽州街道の一区画の別称で上戸沢宿(白石市)、下戸沢宿(白石市)、渡瀬宿(七ヶ宿町)、関宿(七ヶ宿町)、滑津宿(七ヶ宿町)、峠田宿(七ヶ宿町)、湯原宿(七ヶ宿町)の7つの宿場町が仙台藩領だった事が名称の由来となっています。江戸時代は出羽国を領していた久保田藩(佐竹氏)や庄内藩(酒井氏)など13藩の諸大名が参勤交代で利用した為、奥州街道の準じる格式を得て、本陣が設置された宿場町は賑いました。明治時代以降に近代交通網が整備されると主要道から外れる事となり、殆どの宿場町は衰退しその後の過疎化によって往時の賑いを見る事が出来ません。又、七ヶ宿ダムの建設により渡瀬宿にあった多くの茅葺屋根の建物が湖底に沈んでします。

【下戸沢宿】下戸沢宿七ヶ宿街道の宿場町で、仙台藩領と他藩との藩境に接し番所が設置されていた上戸沢宿を補佐する為に重要視された宿場町です。宿場町には番所や藩境を守備する武士(足軽)が30人から40人程配置されていました。江戸時代中期以降は本陣に準じる検断が設置され、宿場内の治安維持や軽微な事件の判決、行政などが行われました。明治時代に入り街道制度が廃止になると重要性が失われ急速に衰退しています。現在七ヶ宿街道の街道沿いに建てられている伝統的な建物は木造2階建、入母屋、茅葺、平入で、2階部分の南側が大きく開口出来、棟には煙り出し、入母屋部の通風口などが見られ、詳細は不詳ですが明治以降は旅籠や茶屋などで生計を立てられず、水田を行う程広い土地が無い事から養蚕を生業に転化した思われます。残された茅葺屋根の建物は少ないですが、七ヶ宿街道の雰囲気が感じられます。

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